雨上がりの空に―わたしの不登校経験談―

とある大学院生の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

20歳のわたしによる自身の不登校経験の解釈。

わたしは、自分が不登校になったのは「当時私に関わっていた全ての大人に責任がある」と思いました。もちろん、それからズルズル引きずっているのには自分にも責任があるとは思いますが、「始まりは、あのとき周囲にいたすべての大人」という考えは、誰に何と言われてもこの先ずっと変わることはないと思います。
中1や中2の頃に書いた日記を見返すと、我ながら怖くなります。「この人よくリストカットとか自殺未遂せずに生きていたなあ」みたいに思いますし、正直な話、不登校になって当然だとも思います。

 

現実逃避。責任転嫁。 

そう思う人もいるでしょうし、実際そういう言葉を口にする大人もたくさんいます。

でもこれは、わたしが長年自分と向き合い、そして教育のことを少しずつ勉強しはじめたからこそ、導き出した答えでした。


あのとき、わたしを認めてくれる人がいたら。
あのとき、わたしの話を真剣に聞いてくれる人が近くにいたら。
あのとき、わたしに心から安らげる居場所があったら。

 

誰もわたしのことを理解しようとしてくれなかったですし、向き合おうともしてくれませんでした。
「それを求めるなら、理解してもらう努力をしないとだめ。」
K先生はいつもそう言うわけですが、わたしも決して馬鹿ではないので(笑)それ相応の努力はしてました。
けれど、何を言っても聞く耳を持たず、何を言っても醜い言い訳しかしてこない人に対して努力をしたところで結局無駄でしかなかったんですよね。

大人は社会の厳しさや働くことの大変さ、大人としての責任感などを言い訳にして、子どもと向き合うことから逃げていると思いました。それで大事な時にSOSに気付いてくれなくて、気づいた時にはもう、、、手遅れだったりするのです。


これだけわたしは大人に苦しめられてきたのに、当の大人たちは、そんなことも知らずにのうのうと?生きてます。それがこのとき一番腹立たしかったですね。
わたしはこれを、「目に見えない犯罪」だと思いました。大人たちは揃いも揃って被害者面してますが*1、残念ながらわたしにとって、あの頃出会った大人たちは加害者でしかありません。そしてわたしは、、、、そんな大人たちに傷つけられた被害者、だと、思いたくなくてもそう思ってしまいます。
「あなたの人生を壊すきっかけを与えてしまってごめんなさい」と、本当は、、、わたしが10代の頃に出会った全ての大人に、、、そう言ってもらいたい。そんなことを思ってしまう自分もいました。


でも、それを大人たちに抗議したところで何も変わらないことはわかってます。

本人たちは、わたしが一生忘れることがないであろう言動の数々を覚えてはいないでしょうし、例え覚えていても、それを認めようとはしません(笑)

あの人たちは、何があっても絶対に、自分より下にいる人間に頭を下げるなんていうプライドをズタボロにされることはしません。それが大人という生き物です。悲しいですが、これは紛れもない現実なのだというというのは、この数年でよくよくわかりました。

 

「なんで大人ってこんなに醜くて汚いのだろうか」と、ずっと考えていたわたしも20歳になり、 大人と同じ立場となりました。そこで初めて、見えてきたことがあります。
それは、この社会を生き抜いていくことが想像以上に大変であるということ。

そして、人の考えや価値観は、色んな経験を積み重ねていくうちに、良くも悪くも変わっていくということです。


こうして大人の気持ちが少しばかり理解できるようになったのは、わたしにとって嬉しいことでもあり、悲しいことでもありました。

いくら社会を生き抜くことが大変でも、いくら自分を守ることが大事でも、いくら考えや価値観が変わっても、、、それは子どもと向き合わなくても良い理由にはなりません。この1年、教育に関して様々なことを専門的に学んだからこそ、、、強くそう思いました。

 

 

*1:ほんとにみんなして「こっちだってあのときは必死だったし(立場もあるし)、どうしてあげたらいいかわからなかった」みたいに言うのです。どこまでいっても醜い人たちだなあ、と思います。