雨上がりの空に―わたしの不登校経験談―

とある大学院生の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

受験は平等なチャンスなのか。

「自分は今の入試制度が間違っているとは思ってない。受験っていうのは勉強ができるかどうかよりも、一つの目標に向かってどれだけ計画立てて実行できるかってのを見てるんだと思うんだよね。それは社会に出てからも必要な力だと思うし、それがないと何もできないから。それに誰だって勉強さえすれば入れるんだから、こんな平等なチャンス、社会に出たらもうないよ。」

 

K先生に、こんな話をされたことがあります。「受験は平等なチャンス」というのは、塾の先生方にも何人か言われましたね。

まあ、その意見もわからなくはないです。が、「この世に平等なんて存在しない」と考えるわたし*1は、この話に賛同することはできませんでした。むしろ、「はあ?受験のどこが平等なん?」てな感じでしたね(笑)今なんかだと「つべこべ言わずピエールブルデュー*2の本をよめ!!!!」とか言っちゃいそうです(笑)


「知識よりも努力の過程を見るもの」というのもわかりますが、努力の過程を見るなら、こんなしょうもない、将来何の役にも立たない、生きていく上でべつに知らなくったって支障をきたさない勉強である必要はないんじゃないかと思います。単に努力の過程を見たいだけならば、もっと社会を生き抜くのに直接的な戦力となる“実用的な”勉強をしてればそれでいいじゃないか、と思います。

でも、こういうことを口にすると必ず「勉強したくないがゆえの言い訳だろ」「屁理屈ばかり言ってないで勉強しろ」みたいなことをみんなして言うんですよね(笑)めんどくさい世の中です。

まあ今の日本の受験体制や学校教育を推奨してる人は、一生推奨してればいいと思います。で、ピエールブルデュー(およびわたし)のように、「それらが教育を衰退化させている諸悪の根源」だということに気づいた人は、各々自分の好きな方法で未来への道を作っていけばいいと思います。(笑)

 

 

*1:「この社会がおおよその人間にとって生きづらい社会であるのは、この社会が不平等だからであって、ほんとにこの社会が“平等”なのだとしたら、数々の社会問題は生まれない。そもそも、“平等”の定義なんて人それぞれなのだから、そこの問題を一枚岩で語ることはできないはずである。」というのが、“平等”に対するわたしの持論です(笑)

*2:「学校教育は、特定の階層文化に有利な選択をしているにも関わらず、中立的で民主的なふりをして自らを合理化している」みたいなことを言う人です。わたしが学校教育に対して思っていることを全部学問的に言ってくれてるので一番好きな社会学者さんです。