雨上がりの空に―わたしの不登校経験談―

とある大学院生の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

転籍したくない、、、!

1月。大学の審査に通り、転籍試験の願書が送られてきました。来月の試験を受けるには、これを1週間以内に提出しなければいけませんでした。 大学の審査がどんなものだったのかは未だにわからないのですが、審査に通ったことは正直全然うれしくなかったです(…

泣きまくる1週間。

もし役員になっていなければ、おそらく多少の迷いはあったとしても今頃転籍のための準備を進めていたと思います。転籍することで何が一番いやだったのかというと、それは間違いなく「役員の仕事ができなくなること」でした。 レポートや試験勉強、バイトをこ…

不登校を、乗り越える。?

わたしが通学課程への転籍をずっと目標にしていたのは、それがいわゆる「普通」とされる道だと思っていたから、そして、もう一度ちゃんと学校生活ができるようになって初めて「不登校を乗り越えた」と言うことができると思っていたからです。 けれど、この2…

転籍のこと。

とにかく通信生としての学生生活や役員の仕事が楽しくて、転籍のことは本当に悩んでいました。それでも「やらずに後悔はしたくない」と思っていたので一応準備は進めていて、出願にあたって必要な単位をすべて漏れなく取得し、転籍願も取り寄せてはいました…

不登校の理由。

新聞も支部通信もそうですが、こうして色んな人にわたしの思いや考えを伝える機会を得ることができたのは、本当にうれしいことでした。 ただ、新聞にわたしのコラムの掲載が決まったとき、わたしにはひとつモヤっとすることがありました。 掲載にあたって新…

最後の診察。

秋。 病院の都合により、K先生の契約が切られることになったため(笑)約5年半!続いた診察に終わりを告げる日がきました。 最後の診察は、ぶっちゃけかなりモヤモヤが残るものだったのですが(笑)それはまた、機会があればべつのときにしゃべります。 「も…

不登校になったからこそ、、、。

「不登校にさえなっていなければ、、、。」 そんな思いが全くなくなったわけではありませんでしたが、この頃は「不登校になったからこそ今の自分がある」と心から思えるようになっていました。 ◆◆◆◆ 私は中学二年の時に不登校になり、高校でも不登校を経験し…

羨ましい気持ち。

アルバイトに行くとき、夕方からのシフトだと、ちょうどわたしが通っていた小学校の子どもたちが学校を終えて帰宅する時間とかち合い、大量の小学生とすれ違うことも少なくありませんでした。おしゃべりしながら歩いたり、歌いながら楽しそうに歩いたり、、…

アルバイトのこと。

この頃には、バイトにはわりと楽しく行けてました。役員活動を始めたことも影響していたと思いますが、後輩が増えて先輩として必然的にしっかりしなければいけなくなったこともあり(笑)前よりも自信を持って仕事ができるようになりました。 新しい子たちも…

誇り。

「通信に行ったのは“前進”じゃない、“逃げ”や。逃げるのも必要なことやけど、これは“逃げ”。それは、忘れたらあかん。」 短大を辞めて通信に行ったとき、そう言った人がいました。つい数か月前に「大学の役員になった」と報告したときも、その人は「それを理…

最高の居場所。

わたしが初めて編集に携わった支部通信を見たK先生は、こう言いました。 「ついにあなたもこういうことするようになったか、、、。」 、、、ですよねえ(笑) 「社会不適合の人って、自分で居場所を見つけられないの。だから自分たちは患者に色々な場所を勧…

良い変化。

役員になった次の日から、支部通信の原稿チェックやら、懇親会の準備やらに追われる日々が始まりました。やらなければいけないことが多く、想像していた何倍も大変でした。 けれど、その分余計なことを考える暇がなくなって(笑)バイトにはそれまで以上にす…

役員抜擢。

大学は自宅学習がメインなので、必要な情報は全て月に一度発行される広報物で知ることになってました。 家に届く広報物は、大学が発行しているものと自分の住んでいる地域の支部*1が発行しているものの2種類あって、大学が発行しているものは学校便りみたい…

「ふつう」になりたい。

そんなある日、前回記事にしたIちゃんから久しぶりに連絡があり、小学校の同級生4人で飲み会をやることになりました。 正直、すごく楽しかったです。こういう集まりに呼んでもらえることすらあまりなかったので*1本当にうれしかったですし、「あ、わたしいま…

目から鱗。

あるとき、ふと思い立って、不登校経験者の人のブログをいくつか読み漁りました*1。 みんないろいろと苦労したようでしたが、それぞれしっかりとした夢を持って、努力して、前向きに行動を起こしている人ばかりでした。そして何より、みんなとても楽しそうで…

身の丈に合った選択。

学習会は毎回色んな人と仲良くなって、色んな話ができてすごく楽しかったです。もうこの頃には通信にいることに対する後ろめたい気持ちもすっかり消えましたし、いろんな人と会うたびにたくさん刺激をもらえ、視野も広がりました。 学習会に参加したとき、「…

少しずつ。

それから少しずつ、いろんなことを動かし始めました。 まず、大学の学習会に毎回参加するようになりました。 参加者のほとんどがわたしよりも年上、、、という、ちょっとアウェーな状況でしたが、もともとわたしは同年代の人よりも年上の人の方が話が合うタ…

見つける、変える。

結局、何も解決していないのだな~と思いました。 家族の確執も、大人への恨みも、体調のことも、周りのことも、心のモヤモヤも、、。解決したように見えて、本当は、何も解決していないんじゃないか、と。 なんて悲しくて惨めな人生なんだろう~と思いまし…

友達。

体調不良を機にけっこう久しぶりに いろんなことを考えてしまい、かなり情緒不安定でした。 と同時に、この時期何度か家族と揉めたり、数少ない知り合い*1といざこざがあったりしていたので、余計にメンタルが病んで「うわああああああああ」となってしまっ…

20歳のわたしによる自身の不登校経験の解釈。

わたしは、自分が不登校になったのは「当時私に関わっていた全ての大人に責任がある」と思いました。もちろん、それからズルズル引きずっているのには自分にも責任があるとは思いますが、「始まりは、あのとき周囲にいたすべての大人」という考えは、誰に何…

コンプレックス。

スクーリング以降、体調は悪くなる一方で、短大にいるときみたいな感じでした。バイトにも思うように行けなくなり、、完全に闇の中でした。バイトがしんどくなったのは、単なる“体調不良”だけが原因でなく、一番の原因は実は「店長さんと揉めてひと悶着あっ…

閉ざされた道。

それからはときどき学校の図書館に行って勉強したり、レポートを書いたりしつつ、来年の通学課程への転籍へ向けての準備を進めていました。パン屋さんのバイトも週2で行き、わりといろんなことをせっせと頑張っていたと思います。 単位の取得方法として、レ…

学習会。

大学の勉強はすこぶる順調でした。レポートは死ぬほど難しかったですし、試験も毎月あって大変な部分もありましたが、文章はある程度書き慣れていましたし、自分が興味のあることゆえに勉強するのがとても楽しくて、うまれて初めて勉強を「楽しい」と思うこ…

新しい生活。

短大をやめてから、びっくりするくらい体調が良くなりました(笑)受験生時代からずーっと悩まされていた耳痛も完全になくなりましたし、過呼吸になることもほとんどなくなりました。「身体ってすごいな、、、」と思いました。 ひとまず何かバイトを始めてみ…

大学生になる。

10月から、某大学の通信教育課程の教育学部の学生になりました。学部選びにはかなりの迷いがあって、教育学部に行くか心理学部に行くかでけっこう長いこと悩みました。一口に“教育学部”と言っても、ほとんどの大学の教育学部が「教員育成のための学部!」と…

社会と接するということ。

9月末で短大を退学しました。短大の先生たちは本当に優しくて、わたしが行けなくなってからも親身に話を聞いてくれていました。退学を決めたときもすごく応援してくれたので、本当に申し訳なかったですが、嬉しかったですね。 まさか自分でも、こんなに展開…

転機。

そんなとき、テレビでフリースクールの特集をやっているのを偶然見つけました。そういう特集って、やっぱり意識せずとも自然と見入ってしまうんですよね。 自分と同じように、学校のことで辛い思いをしている人はたくさんいる。わたしがその人たちのためにで…

今後のこと。

そんなこんなで1か月に一度は学校へ行って担任の先生と話をしていたのですが、授業に出ることはできませんでした。結局、前期の授業には一度しか出ていなかったので、単位なんてのはひとつもありゃしません(笑)じゃあ後期からどうするか?という話になるの…

社会を変えたい。

これは不登校ブログとはべつのブログ*1にも書いた話なのですが、わたしは小さなころから学校教育に疑問を持ち、今の日本の教育や社会の在り方に異議を唱えていたため、「今の世の中を変えたい」という思いをものすごく強く持っている子どもでした。けれど、…

社会意識。

新しい学校生活が始まったことで、周りから学校の話を振られることも多くなりました。今に始まったことじゃないですが、わたしは学校の話をされるのが死ぬほどいやでした(笑) 「学校楽しい?」と聞かれたら、例え楽しくなくても「楽しい」と言わなきゃいけ…