雨上がりの空に―わたしの不登校経験談―

とある大学院生の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

転籍したくない、、、!

1月。大学の審査に通り、転籍試験の願書が送られてきました。来月の試験を受けるには、これを1週間以内に提出しなければいけませんでした。

大学の審査がどんなものだったのかは未だにわからないのですが、審査に通ったことは正直全然うれしくなかったです(笑)これで審査に落ちてれば、何のためらいもなく来年度も今の場所にいることができたのに、、、という。また色々と悩まないといけません(笑)

転籍願を出してからのこの1か月、特に何かがあったわけではなかったのですが、何気ない役員間でのラインのやりとりが楽しかったり、何気ない飲み会が楽しかったり、支部通信の編集が楽しかったり、、、「やっぱりこれからもこの場所で過ごしたい!」という思いは、日に日に強くなるばかりでした。 そう、決意を持って転籍願を出したにも関わらず、わたしの迷いは消えるどころかますます大きくなっていたのです。

 

短大を退学してこの大学に来てから、ずっと転籍を目標にして頑張ってきました。1年半前、ちょっとのミスで転籍のチャンスを逃した時はこの世の終わりかと思うくらいに病んでいましたが(笑)それからは転籍のことだけを考えて、がむしゃらにここまで突っ走ってきました。

それなのに、長年の努力の末にやっと手に入れた転籍試験の願書を前に、わたしはつらくて悲しくて泣いているわけです。この日が来るのをずっと待っていたはずなのに、、、。

まさかこんなに転籍をためらうことになるなんて。本当に、夢にも思っていないことでした。

 

泣きまくる1週間。

もし役員になっていなければ、おそらく多少の迷いはあったとしても今頃転籍のための準備を進めていたと思います。転籍することで何が一番いやだったのかというと、それは間違いなく「役員の仕事ができなくなること」でした。

 

レポートや試験勉強、バイトをこなしながら毎月支部通信の編集をおこなうのはすごく大変でしたが、それ以上にとても楽しかったです。憧れていた役員さんたちと憧れていた仕事ができるなんて、こんなにも幸せなことはないと思っていました。いくら転籍を目標にしていたとはいえ、せっかく見つけた居場所を手放すなんて、、、できることならしたくないわけです。わたしが一番悩んでいたのはそこでした。

 

転籍願提出締め切り1週間前、母に今の思いを話すと急に涙が溢れてきました。

自分でもびっくりしましたね(笑)「今の場所を離れたくない」という思いは、もしかしたら自分の想像以上だったのかもしれないなあと、今になって思います。

 

1週間、ずっと毎日悩んで泣きました。どうするのが自分にとって一番最善なのかが、いくら考えてもわからなかったんですよね。でも、例え転籍願を出しても大学の審査に通らなければ試験を受けることすらできないし、転籍願を出さなければ、それはそれで後悔するかもしれない、、、*1

そんなわけでわたしは、散々悩んだ末に転籍願を提出したのでした。

 

*1:と、当時一番仲良くしてもらっていた学生さん(主婦の方)に言われました。

不登校を、乗り越える。?

わたしが通学課程への転籍をずっと目標にしていたのは、それがいわゆる「普通」とされる道だと思っていたから、そして、もう一度ちゃんと学校生活ができるようになって初めて「不登校を乗り越えた」と言うことができると思っていたからです。

けれど、この2年間で色んな人と出会って色んなことを経験して、通学制と通信制は学び方が違うだけで何ら変わりはないことや、色々な道があっていいんだということを知りました。

それに、不登校のことも、、、教育を一から勉強して、何を持ってして「不登校を乗り越える」と言えるか、そもそも不登校って「乗り越える」ものなのか、、、わからなくなってきたのも事実でした。
 
不登校経験者でその後一度も学生生活を経験しないまま社会人になっている人もいますが、だからって全員が全員苦労しているかと言えば、たぶんそうではありません。ハンデを感じさせないくらい、うまくやっていけてる人もいると思います。
このときのわたしだってそうでした。あの頃のわたしとはちがって自分に自信を持てるようになったし、頻繁に過呼吸になったり、泣いたりすることもなくなりましたし(笑)人とも楽しく話せるようになって、居場所も見つかりました。
 

べつの支部の役員さんにわたしの不登校経験を話したとき、こんなことを言われたことがありました。

 

「こうして綺麗なかわいい恰好して、しっかりした考え持ってるから、全然そんな風には見えなかったわ~。よくここまで来たね。」

 
とても嬉しかったです。こうして不登校だった過去を何のためらいもなく話せて、「そんな風に見えない」と言ってもらえるのって、すごく成長したなあと思いました。
そのときわたしは、自分の「不登校という過去をありのまま受け入れることができるようになったことに気が付きました。それってもしかしたら、「不登校というコンプレックスを徐々に乗り越えることができている証拠なのかもしれない、、、と。そう思いました。
だったら無理に、転籍なんてする必要ないんじゃないか、、、。
そう考えるとやっぱり、転籍に対して前向きな気持ちになることはできませんでした。
 

転籍のこと。

とにかく通信生としての学生生活や役員の仕事が楽しくて、転籍のことは本当に悩んでいました。それでも「やらずに後悔はしたくない」と思っていたので一応準備は進めていて、出願にあたって必要な単位をすべて漏れなく取得し、転籍願も取り寄せてはいました。この転籍願を12月中旬までに提出し、大学側の審査に通れば1月中旬に願書を提出、そして2月中旬に試験があり、下旬に合格発表、という流れでした。

 

夏休み前に、一度大学の事務局に通学課程への転籍について聞きに行ったことがあったのですが、そのとき事務局の人にこう言われました。

 

「今までの自宅学習と違い、毎日大学へ足を運ぶことになるということをよく考えた上で検討してください。」

 

当たり前のことなのですが、改めてそう言われると、わたしは自信をなくしてしまいました。

 
「ちゃんと毎日通えるかな」という不安はだいぶなくなりましたが、それでもまだ諸々の不安は消えずに残っていましたし、何より、改めて通学課程のホームページを見て色んなことを調べてみると、やっぱり「こういうの面倒くさいな~、だるいな~」と思ってしまう自分がいたんですよね(笑)この少し前にも通学課程の文化祭に参加したところだったのですが、やっぱりああいう大学生のノリというか、若い人のノリについて行くのはものすご~く苦痛だと思いました。
もし通学課程へ転籍するとなると3回生に編入する形になります。2歳も年下の子たちと一緒に勉強するわけですが、確実に馴染むことなんてできません(笑)どうせ転籍したところで何のサークルにも入らないだろうし、編入だと友達もできにくいだろうし、、、ただ2年間ひっそりと息を潜めて暮らすだけなんだろうなあ~というのは、ずっと前から考えていたことでした。
 
それに比べ、通信制の勉強方法はわたしにすごく合っていると思いました。レポートを書くのは大変ですが、周りを気にせずに自分のペースで勉強できますし、学生さんはみんなわたしより年上だから話しやすいし、居心地もとても良かったです。そもそも、毎日通学する生活に馴染めず不登校になったから今この場所にいるわけで、だったら、わざわざまたわたしを不幸にした場所に戻る必要なんてないんじゃないか、、、?と。そんなことを考えたりもしていました。
 
 

 

不登校の理由。

新聞も支部通信もそうですが、こうして色んな人にわたしの思いや考えを伝える機会を得ることができたのは、本当にうれしいことでした。
 
ただ、新聞にわたしのコラムの掲載が決まったとき、わたしにはひとつモヤっとすることがありました。
掲載にあたって新聞社の人と何度か電話でやりとりをしたのですが、一度こんなことを聞かれたことがあります。
 
不登校になったのって、いじめが原因ですか?」
 
このようにわたしの不登校の話を聞いたらすぐに「いじめられていたの?」と聞いてくる人はわりといます。
わたしはそのたびに「はあ?」と思います(笑)
 
もちろんいじめが原因で学校に行けなくなる子どももたくさんいます。
でも、なんで不登校になったか~なんて、たぶんみんなひとことでは言えません。
わたしの場合はめんどくさいので「べつにいじめられてたわけじゃなくて、なんか人生に疲れて体調を崩したからです」とか適当に言っていますけど(笑)
じゃあなぜ若干14歳にして人生に疲れたか?
なぜ体調不良になったか?
なぜ学校に行くと毎日胃が痛くなるようになったか、、、?
そこを突き詰めていくと、様々な要因が重なって結果的に学校に行けなくなったことがいやでもわかるはずです。
 
わたしは自分の不登校経験をそれなりに受け入れられるようになりましたし、だからこそこうしてその経験をブログに書き起こすこともできるようになったわけですが、未だに「自分には不登校経験がある」というのを人に話すことには若干の抵抗を感じます。というか、抵抗しかありません。
それは自分に「不登校」というレッテルを貼られることがいやだというよりは、「不登校=いじめ」というよくわからない世間の認識があることによって、わたしがいじめられたいたんじゃないか~と思われることが実は一番いやだったりするんですよね(笑)
「ちゃうわ!わたしの不登校経験はもっと複雑で厄介なものだったんだ!!!!!」と言いたくなります(笑)
だからなんか、新聞社の人にそう聞かれたときはすごく腹が立ちました(笑)
、、、という、今日はちょっとした小話でした。

最後の診察。

秋。 病院の都合により、K先生の契約が切られることになったため(笑)約5年半!続いた診察に終わりを告げる日がきました。

最後の診察は、ぶっちゃけかなりモヤモヤが残るものだったのですが(笑)それはまた、機会があればべつのときにしゃべります。

 

 

「もう大丈夫。ふつうの大学生じゃん。もしまた過呼吸みたいになっても、べつに死にゃしないんだから。ずっと続くわけじゃないし、いつか終わるんだから。ゆとりを持ってれば大丈夫だよ。」

 K先生は最後に、そう言ってくれました。
 
K先生と初めて出会ったのは、わたしが高校2年生のときです。何の楽しみも生きる希望もなく、毎日部屋の隅っこで三角座りして、ガラケーをいじるか、泣いているか、自殺のこと考えるか、1日中寝ているかしかなかったような、、、そんな頃です。
クソみたいな大人としか出会えず、ひどく大人に対して嫌悪感を抱いていた時に出会ったK先生は当時のわたしにとって救世主のような存在で、わたしは少しずつ自分を変えていくことができました。
 
もちろん、ずっとそんな前向きな気持ちで診察に通っていたわけではありません。それは今までのこのブログを読んでもらったらわかると思います(笑)
だから今まで何度もK先生のことを「なんやねんこのヤブ医者!」と思ったこともありましたし、正直な話、あれから数年経った今はその思いの方が強いです(笑)
でもK先生はわたしの悩みに対して、わたしがちゃんと納得する答えをくれていました。(機嫌が悪い時以外) それにK先生と話すと、自分では気が付けなかったことに改めて気づくことができるというか、先生の話によって自分を客観視できて冷静になれたことが多々ありました。し、知識も経験も豊富な先生の話は何かと面白く、視野も広がって得られるものがたくさんありました。だからわたしは、どんなにK先生のことがきらいでも(笑)診察に通い続けていたんだと思います。
 
初めの頃はとにかく病んでいて、髪もボサボサ、すっぴんで(まあ高校生だから仕方ないですね)、少しでも気を緩めれば壊れてしまいそうな状態で、毎日を必死に生きていました。
けれど、あれから5年の月日を経てようやく色んなことが動き出しました。メイクやファッションに気を遣うようになり、自分に少しずつ自信を持つことができるようにもなって、勉強や役員活動、バイトに励んだり、飲み会や旅行に行ったり、、、。あの頃の自分からは想像できないような、それなりに充実した生活を送ることができるようになりました。
だから、K先生と会えなくなることに不安もありました*1けど、「今なら大丈夫かな」と素直に思えました。本当に、すごくいいタイミングでクビになってくれたなと思います(ひどい笑)。
 

*1:大阪の病院に行けば会うことはできましたが、あまりに遠すぎる&そこまでの時間とお金をかけてまで会いたい人でもないなと思ったので(笑)これをひとつの区切りにしました。

不登校になったからこそ、、、。

不登校にさえなっていなければ、、、。」

 そんな思いが全くなくなったわけではありませんでしたが、この頃は「不登校になったからこそ今の自分がある」と心から思えるようになっていました。
 
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私は中学二年の時に不登校になり、高校でも不登校を経験した。家族や周りの友達になかなか理解してもらえず、自信を失い、つらく苦しい思いもたくさんした。一方で、同じ境遇の仲間や大学の友だち、信頼できる大人の方にたくさん出会い、広い視野で物事を考えることや、色々な道があっていいことを知った。不登校になったからこそ出会えた人、得たものも多くある。

そして今、学生生活やアルバイトに励み、自分が輝ける居場所を見つけた。不登校になったからこそ今の自分があると自信を持って言えるようになった。だから、不登校になったことを決して後悔はしていない。

学校に行くことが苦痛なら無理に行く必要はない。学校は社会のほんの一部分にすぎないし、自分らしくいられる場所は他にきっとあるはずだ。それを逃げだという大人もいるかもしれないけど、自分を守れるなら逃げたって構わない。子どもたちには自分の今の気持ちに素直になる勇気を持ってほしいし、周りの大人はそんな子どもを否定せずに受け入れ、見守ってほしい。学校に行けない選択をした子どもたちに寛大な社会になってほしい

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これは、この頃地元の新聞に掲載されたわたしのコラムです。なんとなく自分の文章や思いを世に放ってみたくなって投稿したら、あっさりと掲載が決まりました(笑)

 

たしかに不登校は、わたしにとって人生最大のコンプレックスです。でも不登校って、そんなに悪いもんじゃないのかもしれないと今は素直に思います。こういう考えができるようになったのは、本当にすごいことだと我ながら思います。