雨上がりの空に―わたしの不登校経験談―

とある大学院生の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

父とのこと。①

この頃、家のことで一つ進展がありました。高3の夏から全く顔を合わせず、口を聞いていなかった父と「形だけの和解」をしたのです。


わたしが父を無視をし始め、一緒にご飯を食べることを拒否してしばらくの間、父は母に「今の状況をどう解決すべきか」というような長文メールを送っていました。こういう理屈っぽいところというか、何でも理論的に解決しようとするところに非があるということに本人が気づかない限りは何をしても無駄だな、と思いましたね(笑)

 

わたしは正直、もう一生このままでも良いと思っていました。だから極力父とは顔を合わせないよう細心の注意を払っていましたが、タイミング悪くリビングで偶然鉢合わせしたりすることがあると、それだけで涙が出ました。そのくらい、この頃のわたしは父を嫌っていました。

ある時から、父は仕事帰りにケーキやお菓子を買ってくるようになりました。が、それさえもわたしにとっては腹立たしいことでした。
「どうしてもわたしを喜ばせたいのなら、まず、今のわたしが何を望んでいるのか、そして何を欲しがっているのかを誰かに聞くところから始めないといけない。“ケーキを買ってくれば喜ぶだろう”という勝手な想像だけで動くのはやめてほしい。わたしはあなたのそういう自分本位なところに嫌気がさしているというのに、なぜまだそのことに気づかないのか。」

ここまでしてもらってなんてひどい娘だ、と思う人もいるかもしれませんが(笑)これが当時のわたしの正直な気持ちです。

最初はずっとわたし一人だけ、リビングとはべつの部屋でご飯を食べていたのですが、途中から母が気を遣って、わたしと一緒に食べてくれるようになりました。そうすると、一人リビングに取り残された父が、「一人でご飯食べるのが虚しい」と言い出したのです。で、それ以降母は、ご飯の半分をわたしと一緒に食べ、残りの半分を父と一緒に食べる、、、という生活を送るようになりました。

正直、「何甘ったれてんの」と思いましたね(笑)自分が蒔いた種なのに、意味がわかりません。
わたしだって一人でご飯を食べていた時は「寂しいな」と思うことももちろんありました。でも自分の意思でやっていることなので、そこにつべこべ言う資格はありません。だから母が「わたしと一緒にご飯を食べる」と言ってくれた時は、嬉しいというより、逆に申し訳ない気持ちになりました。それなのに、父はこの期に及んでまだ自分のことしか考えられていないわけです。本当に信じられませんでした。

 

 

 

 

 

受験を終えて。

年末、わたしは某女子短大から内定を得ました。
家から片道30分で行けるからそう遠くないですし、四大への編入枠もそれなりに充実していたので、「もうとにかく、勉強せず*1に学生を名乗れるところがあるんだったらそれで良い」と、半ば投げやりで願書を出したのです。

 

「おめでとう、決まって良かったね。」

「何もめでたくないから。おめでとうなんて言わないで、、、。」
ほんとに、ずっとそう言ってましたね(笑)

 

中学・高校入試のときも、受かった学校は第一志望校じゃなかったので、そのときから「おめでとう」と言われるのはじつは死ぬほどいやだったのですが、このときが一番いやでした。短大なんて落ちることなんかまずないし、いろいろやらかした挙げ句に短大なんて、ほんとに自分でも死ぬほどいやでした。「おめでとう」と言われたところで何も嬉しくないし、むしろ申し訳ないという気持ちでいっぱいで、全然素直に「ありがとう」と言うことができませんでした。

 

「どうですか、終わった感想は?」
K先生にそう聞かれたとき、わたしはこう言いました。


「正直、全然実感がないです。いま思うと、たぶん始まってもいなかったので(笑)」


これが、あれだけ苦しんで、悩んで、葛藤して大学受験生活を終えたわたしの率直な感想でした。K先生は笑いながら「たしかにそうかもしれないね」と言ってました(笑)


短大に行くことが決まってから、胃もたれがひどくなりました。みぞおちが痛すぎて歩くことさえ辛く、自由に動くことができなくなりました。K先生にいつも処方してもらっていた胃薬はほぼ毎日飲んでいたのですが、それだけでは全く効かず、べつの病院へ行って胃潰瘍の薬をもらいました。が、それでも全然治らなくてめちゃくちゃしんどかったです。


ほんとうに不安でした。こんな状態でこれから毎日学校へ通えるなんて、到底思えないような状況でした。大学受験を決めてからずっと抱えていた不安は、短大合格を機に確実に大きくなっていきました。

 

*1:入試は簡単な小論文と面接だけでした。

踊る人、踊らない人。

K先生は一度、こんな話をしてくれたことがあります。

「自分もやりたいことだけやって、やりたくないことはやらない人だったから、あなたの気持ちはわかる。でも自分は、そこで一人だけ踊らないでいる勇気がなかった。小心者だから。批判とか、ハブられるのいやだったし、とりあえず周りが踊ってるんだから自分も踊ろう、みたいな部分はあったよね。」

 

K先生も学生時代、色々あったことは聞いていました。
浪人したけど予備校に通うのがいやで、毎日予備校と反対方面の電車に乗って遊びに行っていたこと。

原付バイクに乗って一人山奥へ籠り、ずっと読書をしていたこと。

K先生も自分で言っていましたが、わたしと似ていてわりと“異端児”っぽいところがあったそうです。
けれどK先生は、そこで一人だけ踊らないでいる勇気を持てなかったらしく、何だかんだ予備校にも行き直して勉強し、関東の某有名私大に行ったそうです。まあ、それはそれでひとつの生き方ですし、すごいことだと思います。


けれど、わたしはK先生と違ってそこで一人踊らないでいることがわりと平気なタイプの人間でした。
今までずっとそうやって生きてきましたし、周囲とちがうことをして「あの人おかしい」と言われることは、幼少期の頃からしょっちゅうありました。もちろんそれでいやな思いをすることも多々ありました。が、とにかくわたしはマイペースかつ我が強い人間なので(笑)自分が「違う」と思ったことには、はっきり「ノー」と言える人間でいたいし、やりたいことはとことん突き詰めたい!と思うんですよね。

だから、多少周囲に変なことを言われても「じゃあ自分を貫くのをやめようか」と思うことはほとんどありません。というか、全くないですね(笑)


それなのにわたしは、、、人一倍周りの目を気にするし、周囲の顔色をこれでもかと言うほどうかがう人間なのです(笑)一見矛盾してるように聞こえるのですが、ほんとうにそうなのです。だから、わたしはずっと「良い大学へ入ること」を諦めることができずにいたのです。「いくら自分を貫くことが大事でも、なんだかんだ学歴がないと認めてもらえない、、、」と思っていたのです。

が、タイムリミットが近づいてきて、自然と答えが見えてきました。この頃のわたしが一番捨てるべきものは、周囲の目を気にすることによってうまれる『無駄なプライド』だったわけです。

 

そうは言っても、動き出すまでにはかなりの時間がかかりました。いろんな大学、短大、専門学校を調べ、パンフレットを取り寄せてみたりしましたが、しんどいことには変わりはありませんでした。
結局のところ、どの道を選んでも後悔は残ります。人生とはそういうものです(笑)それならもう、動き出すしかないんじゃないか、、、と素直に思うことができたのは、12月に入ってからのことでした。

 

受験は平等なチャンスなのか。

「自分は今の入試制度が間違っているとは思ってない。受験っていうのは勉強ができるかどうかよりも、一つの目標に向かってどれだけ計画立てて実行できるかってのを見てるんだと思うんだよね。それは社会に出てからも必要な力だと思うし、それがないと何もできないから。それに誰だって勉強さえすれば入れるんだから、こんな平等なチャンス、社会に出たらもうないよ。」

 

K先生に、こんな話をされたことがあります。「受験は平等なチャンス」というのは、塾の先生方にも何人か言われましたね。

まあ、その意見もわからなくはないです。が、「この世に平等なんて存在しない」と考えるわたし*1は、この話に賛同することはできませんでした。むしろ、「はあ?受験のどこが平等なん?」てな感じでしたね(笑)今なんかだと「つべこべ言わずピエールブルデュー*2の本をよめ!!!!」とか言っちゃいそうです(笑)


「知識よりも努力の過程を見るもの」というのもわかりますが、努力の過程を見るなら、こんなしょうもない、将来何の役にも立たない、生きていく上でべつに知らなくったって支障をきたさない勉強である必要はないんじゃないかと思います。単に努力の過程を見たいだけならば、もっと社会を生き抜くのに直接的な戦力となる“実用的な”勉強をしてればそれでいいじゃないか、と思います。

でも、こういうことを口にすると必ず「勉強したくないがゆえの言い訳だろ」「屁理屈ばかり言ってないで勉強しろ」みたいなことをみんなして言うんですよね(笑)めんどくさい世の中です。

まあ今の日本の受験体制や学校教育を推奨してる人は、一生推奨してればいいと思います。で、ピエールブルデュー(およびわたし)のように、「それらが教育を衰退化させている諸悪の根源」だということに気づいた人は、各々自分の好きな方法で未来への道を作っていけばいいと思います。(笑)

 

 

*1:「この社会がおおよその人間にとって生きづらい社会であるのは、この社会が不平等だからであって、ほんとにこの社会が“平等”なのだとしたら、数々の社会問題は生まれない。そもそも、“平等”の定義なんて人それぞれなのだから、そこの問題を一枚岩で語ることはできないはずである。」というのが、“平等”に対するわたしの持論です(笑)

*2:「学校教育は、特定の階層文化に有利な選択をしているにも関わらず、中立的で民主的なふりをして自らを合理化している」みたいなことを言う人です。わたしが学校教育に対して思っていることを全部学問的に言ってくれてるので一番好きな社会学者さんです。

プライドを捨てる決意。

どうすれば平穏に過ごせるか、、、。
たくさん悩んで、わたしは「優等生」としてのプライドを捨てることにしました。

 

とりあえず、今年中にどこでも良いから受かった大学に入る。

大学名、学部、学科を選ばずに、わたしの今の学力で入れるところか、学科試験のない面接や小論文だけで入れるところに行く。最悪、大学じゃなくたって短大や専門学校でも良い。
そして、2年後か3年後、もしくは卒業後にもっとレベルの高い大学へ編入する。

編入試験なら普通の入試と違ってもっと専門的な問題が出されるだろうから、それだとわたしも、今よりはちゃんと勉強するはず、、、。


今の日本社会で求められるのは、入り口ではありません。「どこを卒業したか」という出口の部分です。だから、そこさえしっかりしていればあとはどうとでもなるわけです。
そのためにわたしは一旦プライドを捨てて、自分とって一番負担が少なく、効率の良い道を選ぶことにしました。

 

長年不登校だったわたしにはやはり、一般の受験生と同じ準備期間で受験に挑戦することは不可能だったのだなあと思いました。
不登校になってからも塾で勉強したり、少しだけ学校の授業へ出て高校受験もしましたが、そのときから既にハンデはありましたし、普通の受験生よりも出来が悪い受験生だったのはたしかです。
高校も、まともに行ったのは2か月だけですし、通信制の高校の授業はとても基礎的な、それこそ小学校や中学で習うレベルの内容が多かったので、正直受験には何の役にも立ちませんでした。個別指導の塾では英語しか習ってなかった上に休室もしていましたし、冷静に考えれば、大学受験の勉強ってほぼ9割が独学でした。

 

改めて、よくそんな状態で受験しようとしていたな、と思いました。というか、今でもめちゃくちゃ思います(笑)

それでも不登校の人や高卒認定試験受験者で偏差値の高い大学へ合格する人は山ほどいるわけですから、わたしもやろうと思えばできたのかもしれません。
が、わたしにはそれだけの忍耐や精神力がありませんでした。自分に負けてしまったわけです。まあほんとは、「そこまでして受験勉強をやる意味を最後まで見いだせなかった=身体が拒否反応を起こしてどうしてもできなかった」ってだけなんですけど(笑)でもこのときは「自分が弱い人間だからこんなことになったんだ、、、ほかの人はどんなにつらくてもちゃんと勉強してるのに、わたしはそれができないダメ人間なんだ、、、」と思って、ひたすらに自分を責めていました。

 

 

「優等生」としてのプライド。

その後、いくつかそれっぽい大学を受験しようとしましたが、結局どこも受験せずに終わりました。
この頃のわたしは、単語帳を出してきただけで強い吐き気に襲われ、ご飯も食べられず、シャーペンの音や参考書のページをめくる音だけで耳がキンキンしてどうしようもなくなる、、、というような状況でした。それでも頑張って問題を解こうとしても問題文すら読めず、すぐにシャーペンを投げ出し、暴れたくなる衝動に駆られ、5分も机に座っていることができない、、、みたいな感じでした。どう頑張っても、受験勉強ができなかったのです(笑)そりゃあんだけ学校や受験に対して違和感を抱いていたのですから、まあ無理もありません(笑)身体は正直なので、ある意味当然の反応です。

 

でも、当時のわたしはそんな気楽なことも言ってられなくて、正直プライドがズタボロでした。

あまりに勉強しない(できない)ので、本来滑り止めにしようとしていた大学や、偏差値が低すぎて志望校にしようとさえしていなかった大学の問題でさえ解けなくなってしまっていました。「わたしもここまで落ちぶれたのか、、、」と思うと、自業自得ですがほんとうに悔しくてしょうがなかったですね。

 

きっと周りは、、、家族や親戚は、わたしがどの道を選んでも今まで通り接して応援してくれるのだろうなと思いました。でも、本音のところがどうなのかはわかりません。特に、小学生の頃から呪いをかけるようにわたしに良い大学へ入ることを勧めていた父なんかはほんとうに未知でした。
「誰がどこの大学行こうが気にしない」と周りは言うけど、わたしは「絶対にそんなことはない」と思いました。みんな何だかんだ言いながらも人の学歴はめちゃくちゃ気にするし、実際わたしも人の学歴はすごく気になるからです。べつにそれだけで人の価値が決まるわけではありませんが、やっぱりこの世の中、学歴がひとつの指標になっているのは紛れもない事実です。
一応、小学生の頃から塾に通って私立の中学へ進学した身なので、事情よくを知らない人たちからは「よしださんは真面目な優等生」というレッテルを貼られていました。だから、そんな人たちから「結局よしださんて大したことなかったわね」と思われるのかと思うと、本当に絶望しかなかったです(笑)

 

「優等生」としてのプライドをどうしても守りたいのなら、体調なんか気にせず吐血するくらい勉強して、自己推薦に落ちた大学の一般入試を受けたり、それこそ京大とかを頑張って目指せば良いだけの話です。でも、その道へ進もうとしない、選択しようとはしない自分に一番腹が立っていました。プライドだけは高いのに、その他の面は本当に弱かったのです。

 



 

 

 

 

 

迷走。

じつはこの頃、某有名私立大学の自己推薦入試を受けていたのですが、最初の書類選考であっさりと落ちました*1(笑)K先生やM先生はじめ、いろんな人に相談しながら書いた志望理由書と自己アピールの文章は、今見てもかなりレベルの高いものだと自分でも思っているのですが(笑)まあ、ダメだったのでしょう(笑)

 

唯一当てにしていた自己推薦入試に落ちたことにより、次をどうするか考えないといけなくなりました。でも相変わらず体調は悪いし、イライラするけど暴れる気力もないし、勉強も全くやる気になれないし、、、てな感じで、ずっとモヤモヤしていました。

これからどうなるのか全くわからなくて、とにかく毎日が怖かったですね。わたしは何を勉強したいのか、将来どうしたいのか、そもそも本当に大学に行くべきなのか、、、。完全に迷走していました。


父は「二浪までなら」と言っていましたが*2、わたしはたぶん、二浪してもまた同じような日々を送るだろうし、何も変わらないだろうなと思いました。
母は「あんたはもう勉強しないだろうから専門学校でも行けば?」「専門学校は資格が取れるからその方が将来は安定するかも」と言っていて、それもアリかなと思いました。が、特に興味がある分野もなかったですし、それをそのまま仕事にするというのも考えられませんでした。

 

どうにかしなきゃいけないけど、どうしていいのかわからなくて、何もできませんでした。
そんな感じでずっとヘラヘラしていたので(笑)この頃K先生には診察の度に「あまりに危機感がなさすぎる」とよく怒られていました。これでもちゃんと危機感はあったし、だからこそいろいろ考えて体調が悪化したりしたのですが、この人には通じなかったようです(笑)


いやでも明日はやって来るし、いやでも時間は過ぎていくわけですが、どうしても決められませんでした。
何がわたしにとって最適な道なのかがわからなかったですし、きっとどの道を選んでも、わたしはまた失敗するのだろうな、、、と。そんな不安とモヤモヤは、ずっと消えることがありませんでした。

そもそもわたしは本当に大学に行きたいのか、本当に勉強したいのかが全然わかりませんでした。
M先生から前に「入ってみて違うと思えばそのときやめれば良い」と言われたことがあったのですが、それで一度失敗して大金を無駄にしてしまった*3ことを考えると、なかなかその先生の意見を受け入れることができずにいました。数十万単位ですからね。失敗したときのリスクを考えると、やっぱり一歩踏み出すのはそれなりの勇気がいるものです。


将来やりたいことも特にないし、楽しみなことも何もない。

本当に、みんな何が楽しくて生きているのか。

こんなこと言ってばっかりで、わたしは死ぬしかないんだろうか、、、。

 

毎日そんなことばかり考えていました。

 

 

 

*1:「書類選考と面接だけで(受験勉強せずに)それなりの大学に入れたら儲けものだ!!!!」という、それだけの理由で出願しました。たぶん、そんなモチベーションだから落ちたんだと思います(笑)

*2:この頃はまだ喧嘩中だったので、母から聞きました。

*3:高校のときのことです。